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カルシュの調査と協力者(敬称略)との出会い

たった一枚の住所の書付からカルシュ博士に関するすべての調査がはじまった。

1999年9月5日、ドイツのシュトゥットガルト・フリーデンスプラッツのホテルで一緒に宿泊していた高原健爾 と若松秀俊が朝食後に偶然に出会ったのがカルシュの次女 であった。これが縁で旧制松江高校教師のカルシュの存在を初めて知った。カルシュの二人の娘のMechtild Maria Karsch St.Goar(メヒテルト)とFriederun Christa Karsch (フリーデルン)であった。二人はFritz Hermann Karsch(カルシュ) に関する情報を若松秀俊に快く提供し、後に日本、ドイツ、アメリカでの調査に協力してくれた。

顕彰活動に重要な役割のあった人々

Andreas Stief は若松のドイツ学術交流会 DAADによるドイツ留学時(1973-75)からの友人でドイツ語による拙著《Erinnerungen aus dem Viereckigen Tauchnetz》の修正をしてくれた。また、同じく友人であるPeter Lederer(向かって右端)は若松がエルランゲン大学医学部バイオサイバネティクス研究所(Wolf Dieter Keidel所長)でともに学んだ医学研究者である。しかも、戦後メヒテルトの夫Herbertが尋問して、貴重な資料を押収したことのあるヒトラーの個人的なパイロットで写真家のHans Baurの晩年の病を診察した不思議な縁がある。

国内調査で最初に出会ったのが旧制松江高校第19期生の 竹原敏夫 であった。彼の自宅近くに壊されず寂しく立っていたカルシュの住んでいた官舎に初めて案内された。
しかし、調査の主たる功労者で重要な資料提供者はカルシュの教え子の第9期生の白石きよし 宮田正信 岡崎道夫、第14期生奥野良臣と当時小学生の松本 昭であった。神戸でのミーティング時の思い出深い記念写真がある。それと並んで、第4期生の柴田午郎と義娘(久美子)、第5期生の酒井勝郎、第6期生でともに眼科医であった増田義哉 澤田弘夫 が挙げられる。澤田は当時のアルバムを保存していた。これと前後して、カルシュを知る 前田俊明が父で詩人の貞明が受取った色紙の写真を若松に送ってくれた。毛筆で書かれたカルシュ自筆の色紙の言葉は旧生徒らに伝えたい言葉であった。2001年当時、松江に在住の島大同窓生の竹原,金築元学長,河本会長と若松が臨水亭でカルシュ調査の件で懇談し、記念の撮影をした。第13期生の遠藤捨雄とは京都の自宅を訊ねて面会し、アルバムを借用した。この間、カルシュの住居の斜向かいの住人であった、当時を良く知る竹内紀代子が実娘(伊東信子)を伴って埼玉の自宅で面会してくれた。また、酒井勝郎の義娘(美恵子)の協力を得たり、松江市在住の酒井の実姉に江角比出郎とともに会うことができた。2001年9月にはカルシュの終の住処であったカッセルの老人施設を訪問し、管理人の案内を受け一緒に撮影した。
2007年1月には島根大学で 本田学長、若松、三原事務長、高安副学長らと旧制松江高校の功労者としてのカルシュの調査協力のための懇談を行った。その後、建築家の石原幸雄と大学側の相良英輔、絵下和宏からカルシュの住居であった官舎内部の案内を賜った。そして、この年の8月に同大学 高安副学長らと若松の案内で米国テネシー州チャタヌーガの自宅を訪問し官舎修復について懇談した。2009年に朝日新聞社の協力と大学の 寄付呼び掛けにより修復運動が実り官舎は市長隣席で装いを新たに落成した。それと前後して、島根大の山本学長、次の小林学長からカルシュ顕彰への諸々の協力を得た。落成式典の様子は大きく報道された。2012年3月は若松の東京医科歯科大退任を期に松浦松江市長と福島教育長と会い、カルシュの調査協力を求めて懇談した。このとき松江観光大使の申し出を受けた。

以上の諸氏とは別に重要な協力者としては 駐日ドイツ大使Kaestnerと大使館でのパーティでの懇談(2012年6月)ドイツ学術交流会東京支所や、同親睦のための友の会パーティでのカルシュ顕彰協力を約束してくれた執務中のStuckenschmid U.Lins、また東洋経済会館で耳目会(二木会)で細田吉蔵が岡崎道夫とともにカルシュの顕彰を訴えてくれた。さらに 竹村健一らによる顕彰の大きな激励があった。また、カルシュ所縁の大山の足跡の調査を 石村隆男と共同で行い、開山1300年展示会では主役を演じてくれた。なお、全国的にはインターネットによる松江出身近畿双松会の 松本耕司や松江一中ホームページ石飛貞典らの協力が忘れられない。

企画展示会とテレビ放送

カルシュに関しては、2004年NHK松江放送局ロビーで生涯にわたる活動 NHK松江展示会が紹介された。これに関しては山陰中央新報により報道がなされている。以下についても、詳しい報道が何度かなされている。 彼に関する主なテレビ放送はNHK松江放送局、民間放送局と合同で数度行われている。なお、山陰ケーブルビジョンで《フリッツ・カルシュ》として、2017年1-2月と翌年8月に再放送されている。
なお、松江を訪れた外国人が松江郷土館(2004年 4月)で紹介されている。カルシュ博士と軽井沢が軽井沢歴史博物館(2013年 7月)で展示されている。そして、大山開山1300年記念では「夢に見た大山」でカルシュ展示会が催されている(2017年6月)。他に、フリッツ・カルシュが島根大学(2018年4月)で展示されている。また、カルシュの撮影になるホーランエンヤ写真展が松江歴史館(2019年7月)で展示され、次いで昭和天皇御大典における松江市内の祝賀行列が松江歴史館(2019年10月)で展示され、いずれもそれに先だって山陰中央新報でも報道されている。

感謝の言葉

その前に、 メヒテルトの自宅の外観を紹介するとともに、メヒテルト自宅に保存されている日本関連の書籍、それに家具、絵画、人形、絵本などを一括して次に紹介する。
収集物の一部自筆の絵画など、また日本人形や戦前の講談社刊絵本が保存されており、そこにカタカナで所有者の名を自ら「メヒテルト」と記している。
調査中、膨大な書簡や写真、写真をお送りいただいた。多くはカルシュの縁者の旧生徒からであった。改めて、心からの感謝を申し上げたい。 これらについては、メヒテルトの提供の写真とともに拡散を避けるための使用の制限をしたことがある。メヒテルトは生前、上記のカルシュや自らの遺品を寄付したいと言っていたが、相手側との意見が一致することなく、その計画を止むを得ず打ち切らざるを得なかったことがある。しかし写真は生前メヒテルトの意思が明確であり、若松が修正後に公表した後には、「カルシュ博士顕彰会」の若松代表の判断で処理できることを約束してあった。現在、それらの提供者の殆どの方々が鬼籍に入ってしまった。これら人々に改めて感謝の意を述べるとともに、写真の修正に関わった東京医科歯科大若松研究室の有志で顕彰会のメンバーでもあった人々に厚く感謝したい。それゆえ、関連画像の使用時は若松秀俊の許可の記述を添えて自由にお使い願いたい。ところで、カルシュに関する講演については、松江だけでなく大山、軽井沢、福山、横浜、柏、東京各地で何度か行ってきた。その際、お世話になり、ご案内を戴いたロータリークラブ関連では薗口頼之、山尾尚司、岡島昭信に、そして福山での講演では細田邦泰、都内大学での講演では比佐 實、佐藤小太郎によるご尽力に加え、さらにメヒテルトの幼馴染の中林佳子や松江在住の三島昌彦、長澤 敬などの諸氏から賜った数々のご好意に心より感謝の意を表したい。 その中で、カルシュが身体に電撃を感じた体験のあった大山への思いに関する講演の資料を一例として紹介しておきたい。併せて、これまでの活動の概要の一覧を記す。なお、20年以上の長期間にわたる調査で寄せられた書簡や資料の一部の整理に関わった「カルシュ博士顕彰会」の若松代表 が山陰中央新報によって紹介されている。 なお、若松の歴史小説 「夢路の倭の影」マツモト(2018年12月)にもカルシュの行動が描かれている。

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